2009年11月22日日曜日

世界観


 「世の中は自分のフィルタを通してでしか認識できない」

これが私の世界観です。

 このままだとよく分からないかもしれないので、具体的に
書いてみましょう。

 自分が生きている間は、この世界を認識できます。でも
自分が死んでしまえばこの世界は認識できません。

 認識できない世界は、自分にとっては「無」と同じなので、
「死後の世界」はもちろん存在しないことになります。

 また、自分が死んだ後は、自分が世界を認識できないので、
これも「無」となります。
 
 さらに、自分が生まれる前の世界も自分では認識できない
のですから、実は「無」いのかもしれません。


 じゃあお前はどこから生まれたんだよ・・・という生物学
的なつっこみが聞こえてきそうです。
 

 私たちが勉強してきた歴史や科学・・それにより私たちは
この世界が、一見、合理的で、且つ複雑なシステムとして成立
しているように「認識」しています。

 でも、そこには「認識」という自分の作業が介在しているの
で、やっぱり自分の「認識」の中の世界から抜け出ることは
できません。

 自分が無くても世界が存在するかどうかは、実は誰にも証明
できるものではないのです。


 ちょっとわかりにくいですね、例えば、こういうことです。

  実はこの世界は「自分」という「端末」を走る
 「電気信号」が見せている壮大な「夢」なのかも

 睡眠中に見る夢は現実ではないことは同意してもらえるで
しょう。
 でも、起きている間の世界も、実は自分の脳を通して
認識しているものなのですから、現実世界だと認識している
世界も、疑ってみてもいいのではないでしょうか。

 もちろん、この世界の実体の存在を否定するわけではあり
ません。そんな大それたことはできません。

 ですが、自分の認識が無い状態(生まれる前・睡眠中・死後)
では世界は認識できない。
 つまりは、自分という酷く脆い存在のごく一部の「脳」に、
この世界の全部がゆだねられているといっても過言ではないの
でしょうか。

 紀元前から現代へとつらなる歴史や科学は、合理的な世界が
好きな「自分」の、壮大な「作り話」かもしれません。

 そもそも、まだ北米ではアダムとイブから人間が発生して
いると信じている人も多いと聞きますし、さらには地球は平ら
だと信じていた時代もあったのですから。

 それらの世界観は、それらを信じている人からすれば、全う
な事実であり、絶対的なものでしょう。

 別に、彼らの世界観を自分の世界観と比較して声高に否定
したいということはありません。

 私の世界観では、

 どの事実もその人の認識下においては真実

なのですから。

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