2021年8月1日日曜日

自分なりの世界線考察

世界線
シュタインズゲートとかでよく言われる単語ですよね。
ゲームではその世界線をタイムリープしながら、ぽんぽん乗り換えていくことで、最終的にヒロイン2人が死なない未来を掴むのですが、なんか腹落ちしなかったのです。

ふと昨日、思ったのですが、「世界中にいる、個人個人が世界線を持っているのではないか?」と。
観測者はその個人であり、同時刻の同じ世界で生きてても、違う観測をしている。
「今日はよく晴れてて気持ちいいなあ」という人がいれば、
「今日は暑すぎでしんどいな」と思う人がいる
同じ状況でも観測者が違うと違った景色に見えてくる。
逆に、二人で映画を見て同じところで感動していれば、
「よかったねー」
二人の思いが共感するタイミングで世界線が交差する。
多くの人々が恐怖と混乱に陥れられる、凶悪な事件や、戦争、大震災などは、大多数の世界線が収束する。
そんな感じに考えると、世界線はつかみやすいような気がします。

世代の移ろいも、この世界線感で考えると面白い。
 私の父親の世界線はすでに途絶え、
 私の世界線で物語は綴られ、
 息子の新しい世界線に引き継がれていく。
すでに五十間際の私の世界線はこれからの世界の主軸となる世界線ではなく、息子の世界線が主軸に近い世界線なのである。

であれば、息子の知識を増やし、正しいものの見方を教え、考え判断し、多くの人と共感して、前に進んでいけるようにサポートしなければならない。
息子の世界線で良き父親として記録されるのが、私としての望みであり、最大限のエゴである。